大判例

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東京地方裁判所 昭和46年(行ウ)218号 判決

原告

大川はま

右訴訟代理人

中村光彦

被告

三田労動基準監督署長

右指定代理人

押切瞳

〈外二名〉

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者が求めた裁判

一、原告

1  被告が昭和四四年一一月一二日付でした原告に対して労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

二、被告

主文と同旨の判決

第二  原告の請求原因

一、原告の夫訴外亡大川勇は、高取運輸株式会社に艀第八香取丸の船長として勤務していたが、昭和四四年四月二二日右第八香取丸に乗船し、出航のため曳舟に曳行されて芝浦運河岸壁から約一〇メートル離れたとき、同日午前九時四〇分頃、足をすべらせたか、艀の揺れのために足をとられたかして右艀の後部甲板上に転倒し、船尾の波よけで頭部を強打し、直ちに病院に収容されたが、同日午前一〇時死亡した。

二、原告は、同人の死亡当時その収入によつて生計を維持していた者であり、かつ、葬祭を行う者として、労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料(以下「本件給付」という。)の受給権者であるが、被告に対し本件給付の請求をしたところ、被告は、同人の死亡が業務上の事由によるものであるとは認められないとして、昭和四四年一一月一二日付で、原告に対し本件給付をしない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

三、しかしながら、同人の死亡は業務上の事由によるものであり、本件処分は違法であるから、その取消しを求める。

第三  被告の答弁及び主張

一、(一) 原告の請求原因原因一記載の事実中、大川勇が転倒した原因が足をすべらせたこと又は艀の揺れのため足をとられたことによるとの点は知らない。同人が頭部を強打したことは否認する。その余の事実は認める。

(二) 同二記載の事実は認める。

(三) 同三記載の主張は争う。

二、大川勇の死亡は、業務上の事由によるものではないから、本件処分に違法はない。

(一)  同人は一か月以上前に発症した心筋硬塞によつて死亡したものであるが、その原因は冠状動脈硬化症に基づく冠状動脈の内腔の狭少である。同人の心筋硬塞による心胼胝の広がりは広範でかなり重い心筋梗塞であつたから、この程度重症の心筋梗塞があれば、いつ急死するかもしれない状態であつた。そして、その直接の死因は、心筋梗塞による急性心停止又は悪性不整脈であるが、死亡の際に従事していた艀船長としての肉体労働が不整脈の発生に直接関係のある心筋の虚血の直接の引きがねになつたものではない。

(二)  心筋梗塞による死亡が業務上の死亡と認められるためには、従来の業務内容に比し、質的に著しく異なる業務又は量的に著しく超過した過度の業務に従事することにより、精神的、肉体的に特に負担がかかつたと認められることが必要である。かかる身体的努力や精神的感動が心臓の負担を増大せしめたことが医学的に判定し得る程度に認められるならば、災害的事実(アクシデント)として業務に起因して発症したものと認めることができる。単に通常の業務に従事することは災害的事実となることはないし、また単に業務遂行中に発症したというだけでは、業務に起因するものということはできない。

(三)  本件において、大川勇が死亡した時いかなる作業に従事していたか不明であるが、通常の作業に従事していたと認められ、従来の業務内容に比し、質的量的に著しく超過した過度の業務に従事していたものではない。また、同人の死亡前の勤務状態からみて著しい蓄積疲労があつたとは考えられず、死亡当時の気候も穏やかなものであつたから、著しい蓄積疲労又は寒冷が心筋梗塞の誘因となつたものではない。同人が死亡時に転倒したことは、心筋梗塞による急性心停止又は悪性不整脈による失神の結果であつて、原告の主張するように、頭部強打や転倒のショックにより心筋梗塞を発症させたものではない。

したがつて、大川勇の心筋梗塞は、冠状動脈硬化症という同人に内在する素因によるものであつて、業務遂行中に発症したことは、単に業務の機会における一つの偶然事にすぎず、業務に起因するものとはいえない。

第四  被告の主張に対する原告の認否及び反論

一、被告の第三の二記載の主張は争う。

二、大川勇の死亡は業務上の事由によるものである。

(一)  同人の死亡原因は、次のいずれかである。

1 頭部強打による脳の損傷

2 頭部強打、脳の損傷又は転倒のショックによつて発症した心筋梗塞ないし狭心証

3 過激な作業によつて発症した心筋梗塞ないし狭心症

同人は、第八香取丸船上において、曳船が到着したので船首に行き曳綱を曳船に投げ、その一端をピットに固定した後、急いで船尾に来て四〇キログラムないし五〇キログラムの重さの梶捧を梶穴に差し込むという一連の過激な作業に従事中に発症したものである。仮に、右梶棒を梶穴に差し込む作業前に発症したとしても、それまでの一連の作業は同様過激なものであつて、右の作業が死亡の原因となつたというべきである。

4 重労働から生じた心筋梗塞による悪性不整脈

大川勇は、死亡一か月以上前に心筋梗塞の発症があり、その結果同人の心臓に広範な心筋の胼胝が生じ、左心室後壁から中隔にかけて広範にわたる心胼胝が生じていたため、同人の心臓は労働に耐えるだけの能力を失つていた。それにもかかわらず、同人は心臓の能力をはるかに越える重労働に従事していたため、悪性の不整脈が生じ、急死したものである。

(二)  大川勇は業務遂行中に死亡したものであるが、業務遂行中に生じた労働者の災害は業務起因性があると推定すべきであるから、反証のない本件においては、同人の死亡は業務上の事由によるものというべきである。

(三)  業務上の事由による死亡とは、労働者が従事していた業務と相当な因果関係を有する死亡を意味するところ、業務が事故発生に影響していると認められる限り、広く相当因果関係を肯定すべきものと考える。もしこのように解しないとすれば、業務が事故発生に及ぼす影響の程度を問題にせざるをえないのであるが、その実質的基準を立てることは極めて困難であり、また、いずれにしても程度の違いであつて、一方を保護し、他方の保護を拒否する合理的な根拠たり得るものではない。

本件についてみると、大川勇は、既往の心筋梗塞の発症により広範な心筋が壊死しているという身体で前述の重労働に従事したため、悪性の不整脈が生じ急死したものであるから、その業務が強度の悪影響を与えたことは明らかであり、業務と死亡との間に相当因果関係があるというべきである。

(四)  被告は、業務起因性の判定基準として災害的事実(アクシデント)なる概念を用いるが、これは何ら法令上の根拠を有しない。法令上アクシデントを指すような文言は存在せず、労働基準法第七五条第二項及び同法施行規則第三五条が明らかにアクシデントの介在しない疾病について業務起因性を肯定していることからすると、同法がアクシデントの介在を要件としていないことが明らかである。

(五)  被告は、心筋梗塞による死亡が業務上の死亡と認められるためには、従来の業務内容に比し、質的、量的に過度の業務に従事することにより精神的、肉体的に特に負担がかかつたと認められることが必要であると主張するけれども、そのように解しなければならない根拠はないし、また大川勇の通常の業務は過度の肉体的負担を強いられるものであるから、業務起因性を否定すべき理由はない。

第五  証拠関係

理由

一原告の夫訴外亡大川勇は、高取運輸株式会社に艀第八香取丸の船長として勤務していたが、昭和四四年四月二二日右第八香取丸に乗船し、出航のため曳舟に曳行されて芝浦運河岸壁から約一〇メートル離れたとき、同日午前九時四〇分頃、右艀の後部甲板上に転倒し、直ちに病院に収容されたが、同日午前一〇時死亡したこと、原告は、同人の死亡当時その収入によつて生計を維持していた者であり、かつ、葬祭を行う者として、本件給付の受給権者であるが、被告に対し本件給付の請求をしたところ、被告は、同人の死亡が業務上の事由によるものであるとは認められないとして、昭和四四年一一月一二日付で、原告に対し本件処分をしたことは、当事者間に争いがない。

二そこで、本件処分に違法事由があるかどうかについて判断するが、まず大川勇の死因について検討する。

(一)  〈証拠〉によれば、

大川勇の遺体の解剖の結果、左右冠状動脈基始部、特に左冠状動脈基始部の硬化症が顕著に認められ、左心室後壁には、少なくとも一か月以上前に発症したものと推測される心筋梗塞により心筋が壊死した痕である心胼胝が広範に存し、かなり重症の心筋梗塞の症状が認められたこと、右心室は中等度に拡張し、心臓の重量は普通人の1.5倍の四八〇グラムであつて、心肥大が中等度ないし高度であつたこと、以上のような状態のもとでは、悪性の不整脈を起こして突然死亡する例がしばしば見られること、同人の場合も前記心筋梗塞による悪性の不整脈の発生により死亡したものと推認されること、同人の身体には、他に死因を窺わせるような異常は認められなかつたこと

が認められる。右の事実によれば、同人の死因は、冠状動脈硬化症により死亡の一か月以上前に発症した心筋梗塞による悪性不整脈の発生であると認めるのが相当である。

(二)  原告は、大川勇の死因は頭部強打による脳の損傷であると主張し、〈証拠〉によれば、亡大川は、艀の甲板上で転倒した際、艀後部の波よけで後頭部を強打したことが認められるが、本件に顕われた全証拠によつても、同人が頭部強打によつて脳に損傷を受けたと認めることはできない。かえつて、前掲甲第六号証及び証人高梨利一郎の証言によれば、同人の遺体を解剖した際、頭部外皮、頭蓋骨及び脳に損傷は発見されなかつたことが認められる。

(三)  また、原告は、大川勇の死因は、頭部強打、脳の損傷又は転倒のショックによつて発症した心筋梗塞ないし狭心症であるとも主張する。しかしながら、同人に脳の損傷がなかつたことは前示のとおりであり、頭部強打又は転倒のショックによつて心筋梗塞ないし狭心症が発症したことを認めるに足りる証拠は何もない。

三そうすると大川勇の死因は心筋梗塞による悪性の不整脈と認めるべきであるが、それが業務上の事由によるものと認められるかどうかについて検討する。

(一) 本件給付を受けるためには、労働基準法第七九条及び第八〇条に規定する災害補償の事由、すなわち「労働者が業務上死亡した場合」に該当しなければならないのであるが(昭和四八年法律第八五号による改正前の労働者災害補償保険法第一二条)、業務上の死亡というためには、業務と死亡との間に相当因果関係が認められるものでなければならないと解される。そして、労働者が基礎疾病を有する場合において、業務と死亡との間に相当因果関係を認定するには、業務に起因する急激な精神的肉体的負担により労働者の病的素因が刺激され、当該疾病の自然的変化に比べ急速に疾病が悪化し死亡するに至つた事実が認められなければならないと解すべきである。

(二)  そこで、大川勇の心筋梗塞による悪性の不整脈が、原告の主張するように、過激な作業に従事していたことによつて発症したものであるかどうかについて判断する。

〈証拠〉によれば、艀が曳舟に曳行されて出航した直後に船長が通常行う作業は、曳舟との間に曳綱を張つた後、約三〇センチメートルと約一〇センチメートル角で長さが約二メートルある重量四〇キログラム位のけやき製の梶棒を梶穴に差し込む作業であり、大川勇が転倒した位置は梶穴の近くであつたことが認められる。

しかしながら、同人が転倒した瞬間を目撃した証人島田松夫は、大川勇が梶棒を持とうとして腰をかがめて力を入れたときに転倒したものと思う旨供述し、前掲乙第七号証中にも同旨の供述記載があるが、同証人の証言によれば、同証人は、大川勇が梶棒を持とうとした動作を目撃したわけではなく、同人が転倒した後に梶棒が梶穴に差し込まれていたかどうかも確認していないことが明らかであるから、右供述は、同証人の推測を述べたにすぎず、右供述に前認定の事実を合わせ考えてみても、大川勇が梶棒を梶穴に差し込む作業をした直後、又はその作業中に転倒したものであると認めることは困難である。他に原告の右主張にそう証拠はない。

のみならず、鑑定証人渋谷実の証言及び鑑定の結果によれば、一般に悪性の不整脈の発生が死亡直前の作業を原因とするものであるかどうかは医学上解明できないことが認められ、右各証拠及び証人高梨利一郎の証言によれば、

心筋梗塞は、肉体労働者よりもむしろ事務職の労働者に多く、大川勇が艀の作業に従事していたことは既往の心筋梗塞の発症と直接の因果関係はないこと、同人のような症状では、何時でも、また就寝中等いかなる場合においても悪性の不整脈の発生する余地が十分にあり、死亡直前の同人の作業と死亡との因果関係は明らかでなく、作業に従事しない場合においても死亡する可能性があつたことが認められる。

更に、〈証拠〉によれば、大川勇は心筋梗塞の自覚症状がなく、死亡当日まで平常通り勤務していたことが認められる。

以上の事実関係によれば、大川勇は、基礎疾病たる心筋梗塞が、業務に起因する急激な精神的肉体的負担により、その自然的変化に比し急速に悪化し死亡するに至つたものということはできないから、同人の死亡と業務との間に相当因果関係を認めることは困難である。

(三)  もつとも、〈証拠〉によれば、同人のような心筋梗塞の症状のある者が艀の作業に従事することは、心臓に過大な負担を与え、疾患が悪化する危険性があるから、医師としては、もし同人の生前にこのような症状のあることを知つたならば、できるだけ艀の作業に従事させないよう指導したであろうことが認められるけれどもも、それは、医師の患者に対する一般的な健康指導というべきものであり、作業に従事しなくても死亡する可能性のあつたこと前認定のとおりであるから、右の事実は前記認定を左右するものではない。

(四) 原告は、労働者の業務遂行中に生じた災害については、業務起因性を推定すべきであると主張する。しかしながら、業務の内容や災害の性質を問わず一律にその間の因果関係を推定し得ないことはいうまでもなく、本件のように、労働者が前認定のような心筋梗塞の基礎疾病を有する場合においては、単に業務遂行中に死亡したということのみでは、直ちに、業務と死亡との間に相当因果関係を認めることはできないから、原告の右主張は理由がない。

したがつて、本件処分に原告主張の違法はないといわなければならない。

四よつて、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(杉山克彦 時岡泰 青柳馨)

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